
最後の晩餐 (さいごのばんさん、伊 : Il Cenacolo o L'Ultima Cena) はミラノにあるサンタ・マリア・デル・グラツィエ修道院の食堂の壁画として描かれたもので、依頼者はパトロン であったロドヴィコ・スフォルツァ公である。 大きさは420 x 910 cm で巨大な絵である。 作成期間は3年間(1495年〜1498)であり遅筆で有名なレオナルドとしては異常に速いペースで作業を行ったと言える。 この絵は、キリスト教の聖書に登場するイエス・キリストの最後の日に描かれている最後の晩餐の情景を描いている。キリストが12弟子の中の一人私を裏切る、と予言した時の情景である。
ミケランジェロ、ラファエロとともにイタリアのルネサンス期を代表する天才。中でもこのレオナルド・ダ・ヴィンチは名実ともに最大の画家として知られる。 また画業の他、絵画、 彫刻、建築、土木および種々の技術に通じ、極めて広い分野に足跡を残している 出身地はイタリアのヴィンチ村。レオナルド・ダ・ヴィンチとはヴィンチ村のレオナルドという意味である。 彼の残したノートには、おびただしい量の工学、医学、天文学、流体力学、幾何学、音楽などのアイディアが、芸術的な図とともに記されている。
サンタ・マリア・デレ・グラーツィエ教会に併設された左端の建物に「最後の晩餐」がある。 ダ・ヴィンチはこの修道院の食堂にこの絵を描がいた。 食堂に最後の晩餐画を描くというのは、当時よくあったことで、僧たちは「最後の晩餐」を追体験することがひとつの修行だったのである。
この絵の中に隠された人物がいると言う新説が発表され、話題となっている。 その人物とはマグダラのマリア(イエスによって回心した売春婦)であり、イエスとマグダラのマリアの間には子供がいたということがこの絵の中に書き込まれているという説である。
この画はイタリア・ルネッサンスが生み出した一点透視図法を用いて、当時食堂だった部屋の壁面に描かれている。 床から2m程の高さから上に描かれているあるが、ある位置から見ると、絵画の天井の線と実際の壁と天井との境目がつながり、部屋が壁の奥方向へと広がって見えるよう描かれている。 また絵の下端に床の淵のようなものが描かれており、絵の部屋の形状が異様な形をしていることから、最後の晩餐の様子を演じた舞台の様子として描いているとも言われる。一点透視図法の中点一点透視図法の中心点は、中央のキリストのこめかみの位置にある。これは洗浄作業によってこの位置に釘を打った跡が見つかったことから推測されている。
当時、壁画や天井画にはフレスコ画の技法が用いられていた。 フレスコ画の技法とは、古代ローマ時代から用いられており、漆喰を塗り、乾ききる前に顔料を載せて壁自体をその色にする技法である。この技法で描いた絵画は壁や天井と一体化し、ほぼ永続的に保存される。 しかしこの『最後の晩餐』ではこの手法は用いられていない、なぜならこの手法では使用できる色彩に限りがあり、漆喰を塗ってから乾ききるまでの8時間程度で絵を仕上げる必要がある。重ね塗りや描き直しは基本的にできない。 レオナルドは作業時間の制約を嫌ったのであろう。そして、完全に乾いた壁の上にテンペラ画と油絵を組み合わせた技法で描いた。どちらもキャンバスや木の板などに描く技法であり、時間的制約は無く、重ね塗り、書き直しも可能である。テンペラや油絵は顔料を乾性油などで定着させる方法であり、温度や湿度の変化に弱いため、壁画には向いていない。レオナルドは壁面からの湿度などによる浸食を防ぐために、乾いた漆喰の上に薄い膜を作りその上に絵を描いた。 しかしこの方法は結果失敗し、湿度の高い気候も手伝い、激しい浸食と損傷を受ける結果となった。